母
母は材木商の長女として、裕福な家庭で何一つ不自由のない幼少期を過ごしたといいます。
ところが、母方の祖父が40歳にして結核で亡くなったことで、状況は一変しました。
何がどのようになれば、祖父の他界によってそれほどまでに生活が変わってしまうのか、今も僕にはよくわかっていないのですが、とにかく実家の材木商は人手に渡り、母方の祖母は小学校教師生活から悠々自適の奥様生活を送っていたにもかかわらず、突然身一つで母とまだ幼かった弟を育て上げる状況に陥ったようです。転職先が保険会社であったことは、今思えば何となく皮肉にも感じられます。
祖母は優秀な人でした。保険会社に勤め始めると、たちまち一般的なサラリーマン以上の稼ぎを成し、アパート暮らしから一軒家を購入して移り住み、やがて母や叔父を難なく大学まで送り出す余裕までありました。
また、祖母は比較的美人でした。未亡人となったのちも多くの男性に言い寄られ、母は家に訪れる男性の影に、徐々に本来の明るさを失っていったといいます。祖父をなくした当時の母はまだ中学生でした。それまで祖父のことが好きであればあったほど、苦悩も大きかったに違いありません。そして母は絵を描くことで唯一、現実と向かい合うことができたのかもしれません。
僕に多くのこの世の理を教えてくれたのは、この母でした。美しきものと醜いもの。貧富や差別。善悪と善悪のつかないもの。利害の不一致。不条理や矛盾。僕の中に形成されてきたそのほとんどの価値観の礎は母から受け継いできたものです。
そして僕が成長して家を出る頃には、母が持つ理念にも大きく反発することになりました。
今日はこのへんで。